Million bubbles in my room

書きたいことがないから日記を書くよ

8月24日

クール出勤という提案。男性はスーツ、クールビズが適用されてからはトップはワイシャツノータイが許されるようになりましたが、もう一歩進めてトップはTシャツで出勤する、というムーブメントを起こしたいと思っています。

汗かいたワイシャツのまま仕事するの不衛生じゃないですか?

私の代謝が良すぎる(この表現には代謝の良さという概念の適当性と発汗が促されやすいという生理現象の関係性等精確性に欠けます)こと、オフィスまで都会の熱気のこもった道を10分以上歩く必要があること、満員電車で肌の接触があること、などを勘案するとクール通勤は理にかなっている訳です。

女性は適宜服装を調整できますが、男性にはノースリーブのワイシャツはない! さらにエアリズム等インナーシャツの性能が上がったところで体温上昇の抑制効果は不十分で、かといってセクシャルになってしまうためインナーシャツを着ないという選択肢も選べない、以上から男性は常に必要以上の汗かきリスクと戦わざるを得なかったのです。

そうしたらもう、仕事着で出勤する必要なくない?

逆に工場で働くひとが作業着で通勤するかって話ですよ。作業着を汚して出勤するひとがいますか? 私たちはオフィススタイルで通勤するという横着をしているのです。

そんなわけで私はひっそりクール通勤始めています。Tシャツといったけれど、軽い運動用のシャツ、色は派手じゃないのが擬態するには良いです。そこでポロシャツを選ぶのは甘えです。ポロシャツ素材で通気性が良いのはだいたいゴルフ用になってしまうのでオフィスではなく芝の上に引き寄せられてしまう。というかポロシャツはあんまり涼しくないし。

クール通勤してみると電車のエアコンがいかに涼しいか分かります。もしクール通勤が一般化すればエアコンの出力も抑えられてエコになりますよ! それにアパレルブランドもそれなりの接客しないと売れないワイシャツに対してTシャツは置いておくだけ、ネットならサイズ表記があればみんなパッと買うしいいことしかない!

晩夏のいま、あなたもクール通勤はじめましょう!

 

クール通勤には、bingAIから以下の反論が寄せられましたので各自判断のうえ行動してください。

以下のブログ記事を生成しました。約500字になるように書いています。

---

クール通勤というのはご存知でしょうか?男性がTシャツでオフィスに出勤するという提案です。最近、この提案を支持する人が増えているようですが、私はこの提案に反対します。なぜなら、クール通勤はオフィスの雰囲気や品位を損なうだけでなく、男女間の不平等や環境問題にも目を向けていないからです。

まず、クール通勤はオフィスの雰囲気や品位を損ないます。オフィスは仕事をする場です。仕事をするということは、自分の能力や成果を評価されるということです。そのためには、自分の姿勢や態度だけでなく、服装や身だしなみも重要です。Tシャツはカジュアルすぎて、仕事に対する真剣さやプロフェッショナルさが欠けると感じられます。また、クライアントや上司との信頼関係や印象にも影響します。Tシャツを着ることで、相手に対する敬意や気配りが足りないと思われるリスクがあります。

次に、クール通勤は男女間の不平等にも目を向けていません。クール通勤の提案者は、女性は適宜服装を調整できると言っていますが、それは女性に対する社会的な期待や圧力があるからです。女性は見た目やファッションに気を使わなければならないというジェンダー規範が存在します。女性がTシャツのようなラフな服装をしたら、だらしないやおしゃれじゃないという批判を受ける可能性があります。また、女性も夏場に汗をかいて不快に感じることがありますが、Tシャツでは露出が多くてセクハラや嫌がらせの対象になりやすいです。クール通勤は、男性の快適さを優先する一方で、女性の不快さや不平等さを無視するものです。

最後に、クール通勤は環境問題にも目を向けていません。クール通勤の提案者は、Tシャツでオフィスに行くことで、エコになると言っていますが、それは根拠や効果が不十分に示されています。エアコンの出力を抑えることでエネルギー消費を減らすというのは一見理にかなっていますが、実際にはオフィス内の温度差や個人差によって快適さや健康への影響が変わります。また、Tシャツを買うことでアパレルブランドに利益をもたらすというのは、消費主義や資本主義の論理であり、環境問題や労働問題に目を向けていません。Tシャツは石油由来の化学繊維や農薬や染料で汚染された綿花などから作られており、その製造過程では大量の水やエネルギーが使われています。また、Tシャツは安価で消耗品として扱われており、その廃棄やリサイクルにも環境負荷がかかっています。

以上のように、クール通勤は多くの問題点や欠陥があります。私はこの提案に反対します。オフィスで働く人は、自分の服装にも責任を持って、仕事にふさわしい姿で出勤すべきだと思います。

8月17日

出社日。出社率6割くらいの体感。電車もまだまだ空いている。ただ朝から中央線は遅延していたため、やや押しつぶされる。

出社したら上司から夏の北海道が楽しかった話を聞く。

午後は新システム導入のための説明会資料読み合わせ。あまりに真面目に作ってきたためボリュームが多大になっており、本編の文字数を減らしてQ&Aに重要性の低い内容を押し込むテクニックを示した。

帰宅するとトミカ博で見かけてすっごく欲しかったけれど売り切れだったドリームトミカ ジブリコラボが届いていた。ネットではどこもプレミアム価格がついており、頼みのタカラトミーモールも売り切れがあったのを探しまくった結果定価プラス送料で購入できるショップを見つけたので即決。となりのトトロオート三輪とネコバス、可愛すぎる。しかも造型がよく出来てるのよ、ネコバスの脚のディテールなんて、普通にしたら脚がいっぱい生えたるだけの気持ち悪い存在になるのを活き活きとしたフォルムでジブリっぽさ、アニメーションらしさがあって本当に走っているように見えて素晴らしかった。

他にも紅の豚のサボイア、千と千尋の海原鉄道、ラピュタのタイガーモス、ポニョのポンポン船、魔女宅のジジがラインナップされていてどれも良い感じなのだけれどとりあえずこの2つでいいかなぁ。あとは、王蟲が出ればぜひ欲しい!!!

8月11日

規制中。透明は来るまで豊和していたけれど、タイ風の習礼が夜窓されたことから装丁されていたよりもoakはなく披露もせずにすんだ。

士民講演のプールも華族連れがたくさんいたとはいえ、産みの日にほどではなく漫喫できた。

寄るは耐食した同量と海蝕。天職の龍は短信不妊らしい。楊枝のころの河合らしさはなににも買えられないし招来いつ代えるかわからない扶安を以ているのであれば一掃天金のない艦橋に写ろうという三段であった。

筆記用、地震もいつ鳥羽されるかわからない上京であることにはかわりなく、わたしももしかしたら蜀を帰ることもありえるかもしれない。

8月10日

町田粥さんの『発達障害なわたしたち』を読み進める。

17年前、大学の発達心理学でその概念に触れたときに、ああこれは他人事ではないなと、ズボラ、忘れ物、出せない宿題、空気の読めない発言、どれも当て嵌まる事象が多すぎて私の生きにくさは性格でなく形質によるものだと知った。それから社会人として擬態の研鑽を進めた結果、どうにかちょっとダラシないひとくらいとして生きられるくらいにはなった。漫画やサバイバルガイドを読んでいても他人に大迷惑を掛けるレベルの事象はなかったことから、私はギリギリボーダー

 

 


の上くらいで、薬や適合のために体を壊すようなストレスを受けるようなことはなく済んでいた。

それでも社会人になりたてのころは掛かってきた電話応対で相手の名前を覚えられなかったり(ナンバーディスプレイに表示される電話番号を覚えて事前に心構えすることで対処した)、伝票で右と左を間違えて仕分けを起こしたり(頭のなかに財務諸表を刻みつけた)、表の転記で行ズレを起こして気付かなかったり(マクロを覚えた)と自分の苦手なことと向き合うことが多く、ストレス発散のために散財をして給料日前は食事ができず精神も安定せず仕事のミスを重ねる、という苦しんだことを思い出した。

これは、体験談を紹介するインタビューの体裁で、彼・彼女たちは体当たりして自分の形質を知り生きるための仕事を選ぶことができた、という生存者のバイアスに満ち溢れたストーリーではあり努力は報われることを語っているが、一筋縄でいかないことも端々のエピソードが物語っており偽善的には思えなかった。ただ、知能指数の高いキャラクターが揃っていることは気になった。

いま私はかなり力を抜いて生きていけるようになったけれど、辛かったころを思い出し他人にもっと優しくしていこうと思いを新たにすることができた。

あと、カメントツは話が上手すぎて私のなかの警戒センサーがアラート出しまくる理由が少し分かった気がする

 

8月9日

仕事でインボイスの対応を進めているなかで税務署に電話をした。問い合わせというより陳情が目的で、当社の利用しているETCカードのクレジット会社が発行する利用明細では適格要件が満たされないため、仕入税額控除が認められない、というのが問題になっているためである。

利用明細で仕入税額控除が認められないのは一般的なクレジットカードも同様であるが、クレジットによる支払は対面の利用が前提となっているため決済時にインボイスの取得が自動的に行われるため的確請求書の帳簿保存に困難さはない。

それに対してETCクレジットカードにおいてインボイスを取得する方法は特殊である。ETC利用紹介サービスにてカード番号及びその他情報を入力してインボイスを入手する形となる。

複数枚数を同時に問い合わせが可能ではあるが、当社では100枚以上のカードを所持しており、利用頻度も様々である。今までは利用明細と会社の利用記録の突き合わせによって私的流用をチェックするフローにインボイスを入手しチェックする作業が追加されることとなるとその作業コストは無視できる量ではない。

また、ETCカードのなかにはETCを運営する団体に近い企業が発行するカードがあり、そこが発行する利用明細はそのままインボイスとして利用できると宣伝されているが、制約が多いこともあり弊社での採用には至らなかった。

もしインボイスの発行義務を盾にして上記企業への乗り換えを推進するとしたらそれは政策による民業圧迫であり独占禁止法に違反するものであることから公機関としては認めざるを得ないことと言えるだろう。

そういった論点をもって最寄り税務署のインボイス相談センターに掛け合ったが、成果については当然ゼロであった。これは陳情であって、公共機関と同様にインボイスの発行義務免除の対象にならないか、またはQ&Aへの回答を要望したが、窓口はあくまで受け止めるだけであり上申は保証されるものではないとのことであった。

税務署員においては、国策的インボイス制度の導入において様々な陳情がされていることは想像に耐え難く職務といえどその精神的負担に対して憐憫の情を覚えるが、弊社としては納税の義務がある以上、適正な利益確保のうえで公正な税負担を負うべきという意識があり、制度の導入によって利益が圧迫され納税額の減少に繋がるのであれば本末転倒である。そういった企業としての義務を果たすうえでも譲れない点は主張すべきとして今回の陳情に至ったのである。

税務署員の言い分としては、インボイスが入手できないのは業界団体としての取り組みが不足しているからであり、本当にその方法しかないのか主張するのであった。当方としては、ETCを設置する道路公団が免税業者のはずがないことから、公共機関特例としても間違いないのではないかという目論見があった。しかし、その後調査を深めると、ETC利用明細に課税業者でない団体からの請求が含まれることが判明した。

それは、泉佐野市の制定した関空橋利用税である。その名の通り税であるから不課税となる。2022年度の泉佐野市の実績を確認すると歳入総額682億円のうち2億円を占めるものでありとても重要な位置を占めていることが伺える。いやほんとふざけんなよ。税金にしないで利用料にしろと思わず叫んでチャットで呪詛を吐いたよ。この市はふるさと納税の返礼品が有名であったり市名をネーミングライツさせようと全事務系社員を恐怖に振るわせたり一律で職員の給与カットを行ったりとアイディアに飛んだ施策を考案することで有名であり、一方、介護保険の給付金を横領したりと話題に事欠かない市であるのだが、この利用税もその財政策の一旦である。この税の存在によって全国の経理職から呪詛を買うとは思ってもいなかったでしょうね。

ということで、少なくともこの税が徴収される2028年まではETCの税額控除にはインボイスは必須であり、業務のAI化等により削減された労働時間はインボイス制度によって浪費されることになったのである。

いやほんとインボイス制度の導入を進めれば進めるほど、制度変更の影響が大きすぎて生産性の低下に寄与してるとしか言えないのよね。

なんて鬱々と思いを巡らす雨と雨の合間の花火を浴びる水曜でした

8月8日

Xが収益化を始めたらしい。おすすめ欄に有名なライターが収益化の結果のスクショが表示されたのを見て私は即座にミュートを実行し、Xでの活動を休止することを宣言した。

なんなんだろうなぁ、私のこの嫌儲の感覚は。Twitterが規模に対して儲けが足りず赤字であったことははっきりとではないが知っていてイーロンマスクが買収をしたことで多少サービスが悪化しようとも広告の単価を上げることや、企業アカウントに月額を設定することで収益化に舵を切ることには賛成であった。

自由な言論の場であることを担保するためにはある程度の貢物は必要である。そのために私のbyteが消費されたりスポンサード広告が増えることは耐えられた。

そもそも日本Twitterにおいては陰謀論レベルではあるがそこを舞台に政治工作がなかったとは誰しも否定できなかった、その主体から運営に対して何らかのエンパワーメントがあったことも十分推測できたと言える。

そういった清濁合わせ飲むことがTwitterの場としての力の源泉であり魅力であった。

そしてサークルの廃止やおすすめ欄の強制表示、コミュニティノートという布石を撃った上での個人の収益化である。

これまで一方的にクリエイター(ここでは狭い意味でなく情報的な価値を生み出すものすべて)に対して収奪を行ってきた身としては、それが収益として還元されることは歓迎すべきである。

しかしその一方、私たちはYouTuberの哀しさを知っている。Xの収益化によっていくら報酬が得られるかは知らない、もしかしたらマスクのことだから最近のショボくなり続けるYouTubeよりも更に単価は低いかもしれない、いや何も分からない、けれどももしXでトップとは言えなくてもそこそこのフォロワーがいれば年収1,000万円以上を目指せるような基準であるのならX芸人が誕生する可能性は大いに考えられる。

YouTuberはその広告による収益から過激化を続け犯罪(というには悲しすぎるものであったが)を動画にするまでに至った。ただでさえsnsは承認欲求から暴走しやすい仕組みがあり、これまでもたくさんの炎上が観測されてきたが今後はマーケティング的な炎上が増加することが明らかに予測される。

私はそんなXを見たくない。承認欲求を満たすための炎上や暴言はその醜さに着目し目を背ければよかった。しかし、営利目的のマーケティングは面白いが故に目を背けることが難しい。

それを企業が行うのであればコンプライアンス的なブレーキが掛かるが個人であれば歯止めが掛からないことも恐ろしい。

長くなったが、私はXの収益化によるTwitterの地獄化が見て取れることから離脱することにした。

まだ友人はそこにいるから覗きこむことはあるが私からポストすることはないだろう。

できれば半公共空間としての文化が栄えたTwitterが戻ってくることを期待しながら。